日本語活字中毒の皆々様 ようこそ趣味の貸し本屋へ 
第9回読書会 るる編
2014-11-28 (金) | 編集 |
まぐだら屋のマリア 原田マハ

最近原田マハの本、いいなあ、と感じています。この本はキリストとマグダラのマリアを原田マハどのように書いていくのかな?と思っていましたが、全く違う話でした。それでもわたしの期待を裏切りませんでした。静かな滑り出しなどとても心穏やかに始まりますが、そこには途轍もない人間の悲しみがあるように思えます。でもどんなに悲しくても、どんなに辛くても死んではいけませんよね。どんなに追い詰められても私達には帰る場所がある、待っている人がいると言うことを忘れてはいけませんよね。そしてそれはどんなに嬉しいことでしょうか。悲しみや辛さの中にいる時は忘れがちなことですが、私達は一人では生きていけません。私の幸せが実は夫の幸せであり、子供達の幸せであり、そして両親達の幸せでもあるのです。全く同じように夫の幸せが私の幸せでもあると思えるのです。反対に誰かが幸せでなければ私も幸せではありません。そしてその輪はどんどんと広がっていくような気がします。ましてや作中にあるように若い人の自殺はどんなにか周りを悲しませることでしょう。特に両親の悲しみは想像に難くありません。

毎日の生活に忙しく埋もれてしまうと、誰かの役に立ちたい、喜んでほしい、自分を必要としてほしいと言う気持ちが見えなくなってしまうものなのでしょうが、作中の主人公は人に教えられるのではなく、自分でそのことに気づいて行きます。そこに重ね合わせるように私自身も同じように教えられてゆきました。この本はそんな気持ちをさりげなく教えてくれる本でもありました。読後感は清々しく、ますます原田マハのファンになりました。

中山二基子 老いじたくは「財産管理」から

第1回読書会のお題目本である、「押川真喜子 在宅で死ぬと言うこと」を読んだ時にも感じたことですが、人は誰でも産まれた時から死に向かっています。唯の一人も例外はありません。その人の人生は幼くして病弱で生を終えるかもしれません、青春真っ盛りで突然命を奪われてしまうかもしれません、壮年となり病を得て人生を終えるのかもしれません。老年となり衰弱死をするのかもしれません。それは誰にもわからないことです。解からない事ではあるけれども人は死に行くことだけは確かです。一方医学の発達により病弱での死は限りなく減少し、突然死や病死も色んな形で遠ざかりつつあるように思われます。それでもその行き着くさきは老衰による死です。

私の義理の父は晩年失明をし白血病で91歳の寿命をナーシングホームで終えました。その2年後には義母がアルツハイマーを患って入院をしていた同じナーシングホームで老衰死しました。91歳でした。この二人は凡そ9年前に45年間住みなれた家を売却し、リタイヤメントビレッジに引っ越し、失明とアルツハイマーが出始めた頃にリタイヤメントビレッジの家を売却しナーシングホームに引っ越しました。ナーシングホームでは凡そ2年から3年くらい生活をしていたと記憶しています。なんという手際の良さでしょうか。夫と二人で、自分達もこうでありたいと願っています。それでも70代から色々なことを調べたり引越しをするのは大変なので、60代から始めようと相談しています。でも、その60代はもう既に目と鼻の先!という現実に驚いています。とは言へ、やはり自分に痴呆が生じた時はそれを自身で理解できるのかという不安があるのは隠せません。こうなると教会団体が運営している55歳以上のリタイヤメントビレッジに入居した方が安心できそうです。ン?という事は今すぐ入居できるという事でもあるのか。

さあ、いつまでも続く命ではない、少しつづ小さなことから整理整頓を始めていこうかと思い最初にしたことは臓器提供者に登録することでした。その後はリビングウィルに延命治療はしないとサインすることでした。
さてこの次は。。。。。家の中の細々したものを少しづつ捨てるという事かな?と思い手をつけ始めています。

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第10回読書会は2月を予定しています。
読書会はブッククラブの会員の本好きな方ならどなたでも参加できます。
参加ご希望の方はブッククラブまでメールにてお問い合わせください。
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